豪雨被害と災害時のライフライン
先日の豪雨、幸い我が家には直接の被害はありませんでしたが、ここ淡路島でも土砂災害などがありました。改めて被害にあわれた方には心よりお見舞い申し上げます。
明石海峡大橋も通行止め。淡路島と明石を結ぶ高速船は運航していたので本州と人の往来は可能でしたが、物流には影響があったようです。島内のスーパーでは品揃え(特に生鮮食品)が明らかに少なくなっていました。こんな経験は初めてです。で、ふと思い出したことがあります。
先日記事にした淡路関空ラインがまさに始まろうとしている時、島内で仲良くして頂いている年配の方からこんなことを聞きました。
「あんなもん維持できんで。以前採算とれずに撤退したんや。島の人口はさらに減っとるし、バスで十分や。」
「島に必要なのは、大型船が着岸可能な港湾整備やと思う。重機が乗せられるくらいのな。今、島の周りはテトラポットだらけやろ。もし大地震でもきてみい。島にある重機だけでは何ともならんで。明石海峡大橋があっても、橋の上の道路が壊れてたらアウトや。ライフラインってのは1つではアカン。絶対に2つ以上必要なんや。」
私は返す言葉がありませんでした。全く発想になかったからです。
かなり年配の方だと思うんですが、とても元気で好奇心旺盛。よくよく聞いてみると、かつて行政マンだったとか。しかも、あの阪神淡路大震災の現場を経験され、それはそれは大変な思いをされたそうです。
- 採算を考え、災害対策という民間では手を出せない領域で地方貢献を考える昔の行政マン。
- 維持費すらペイできない建物を建てたり、投資回収も見込めないビジネスの真似事をして、自ら地方の地盤低下を推進している今の行政マン。
人にもよるのでしょうが、同じ行政マンでも昔と今とでこうも発想が違うものかと(笑)。何だか新鮮に感じたもので、私の記憶に刷り込まれたんでしょう。今回の豪雨で、その記憶が蘇ってくると共に、島に暮らす上で災害時のライフラインがどれだけ大切か、初めてリアルに感じた次第です。
淡路島は食の宝庫なのでいざとなったら自給自足できる、という方もいらっしゃいます。
実際、平時はその通りでしょうが、私は今回の経験で災害時はまた別だと思うようになりました。
昨日、すっかり顔馴染みになった農家のオバちゃんが我が家にやってきました。いつも季節の採れたて野菜や果物を売りにくるので、私もいつものように
「今日は何?」
と聞いてみたところ、お米だけだと仰る。
そう、野菜や果物は風雨で全部やられてしまったとか…。
いくら食の宝庫といっても、天災には勝てないのではないでしょうか。
このオバちゃんに何と声をかけていいのか、私には分かりませんでしたが、サポートする方法は分かります。それは消費。オバちゃんが我が家に足を運んでくれる限り、私は食材を買い続けようと思います。
P.S.
東京出張前にオバちゃんから買った採れたてのビワ。
まさに季節の果物で、島で出回るのも短い期間だけですが、美味であります。
東日本大震災の時に東京にいて、計画停電のエリアからも外れていて、何の影響もありませんでした。
その時に「田舎にいたら災害時に電気さえも止まる」のだと理解しました。それは長期にわたってと言う意味です。
東日本大震災は私の人生に大きな影響を及ぼしています。
震災時、私もまだ東京にいました。私は計画停電のエリアに住んでいたので、なかなか大変でしたが。
あの時に東京にいたこと、まだ移住していなかったこと、さらに言えば東北にいなかったこと、全ては運でしかないと私は思うようになりました。初めて自分は生かされているんだと真剣に感じたかもしれません。与えられた時間を無駄にせず、やりたいことをやろうと改めて決意することにもつながり、今に至ります。