地方創生シンポジウムに出席してみた
先日、淡路島にある伊弉諾神宮で神楽祭がありました。
私も初めて知ったのですが、日本の神様に奉納するために演奏される歌舞を神楽(かぐら)というそうで、この神楽祭には、
- 国生み神話の淡路
- 出雲神話の出雲
- 天孫降臨神話の高千穂
といった日本神話ゆかりの地の神楽がそろい踏み。今年で8回目を迎える秋の恒例行事です。
又、神楽祭本番前に地方創生シンポジウムなるものが開かれ、私は神楽祭と合わせて参加してきました。今回は、地方創生シンポジウムに出席して感じたことをまとめてみます。
国がプロモーションに金を出す?
ここで議論されていたのは、
- 地方で光るものを見つけて下さい
- 国が金を出してプロモーション(オリンピックがチャンス!)
というビジネスモデルでした。素晴らしい施策と見えるでしょうか?私には、とにかく責任というものから距離を置く国という主体の本質が見え隠れします。
マーケティングの経験がある方はお分かりでしょうが、プロモーションとは売上への貢献が非常に測りにくい施策です。テレビCMをうったからどのくらい売上が上がったか、なんて誰も分かりません。CMをうたない場合と比較することはできないのですから。
プロモーションとは、お金を使う施策ではありますが、お金を稼ぐことからは遠い施策なのです。企業が業績が悪くなった時、広告宣伝費に最初に手をつけますが、それに疑問を抱くビジネスマンはいません。国は財政が厳しいらしいですが(笑)、広告宣伝費に金をばらまくそうです。
成功したか失敗したかが分からないというのが、国にとっては格好のお金の出し方なのでしょう。ただ、このお金、そもそもは我々の税金です。結果責任を明確にした上での投入が筋でしょう。責任はとりたくないけど何かやりたい(やってるふりがしたい?)なら自腹でやってほしいですね。
本気でやるなら…
プロモーションにどれだけお金をつぎこんでも、一時的にフワッと盛り上がるだけで地方には何も残らず、儲かるのは電通や博報堂といった広告会社だけ、になる可能性は非常に高い。やるなら、後々ちゃんと残っていくビジネスモデルを考え出し、プロモーションに並走させる必要が絶対にあります。
実際、このシンポジウムでも、出雲の観光関連の方から、「伊勢神宮にはおかげ横丁、出雲大社には神門通りという商業施設が神社のすぐ外に連なっている」という大きなヒントが話に上がったのです。しかし、こういったコメントはスルー。意味が分かりません。
又、淡路島に少し住んでみれば、観光をビジネスにしようと思った時に大きな課題があることにも気づくはずです。たまに淡路島に足を運んで「何か光るものない?」と聞いているだけで成功する程、ビジネスは甘くありません。
そして、国はプロモーションにお金を出すのではなく、地元のやる気のある人間が本気でリスクをとって考えたプロジェクトにのみ投資するという形をとれば、同じお金でもずっと「生きたお金」になると思いますよ。このご時世、プロモーションなんてのは金を使わなくても手はあります。余剰資金で最後に考える、くらいでいいんじゃないでしょうか。
お金というツールには有効な使い方というものがあります。ただ、資本にしろ負債にしろ、投資としてお金を入れると、責任は思いっきり明確になるので、それなりの覚悟は必要です…。
国による補助金施策の問題点
会社員の頃にもいくつか見たことがあるんです。こういった国の施策の問題点は、「お金を使うだけで、稼ぐことからは目をそむけ、誰も責任をとらない」につきます。ここに集まってくるのは、コンサルタントを名乗る補助金ゲッターで、実力のあるビジネスマンはむしろ離れていきます。仕事は人で決まります。最初から失敗が約束された立てつけであります。
- 淡路だけでなく、出雲や高千穂との連携をベースに
- 神社に連なる商業施設はマネタイズの手段の1つ
- 淡路島では最近銅鐸が発見された。神話の中で国生みの地とされたのには、何か科学的な根拠もあるのではないか?
面白い話もあったのです。
私も今や地方に住む身。私が先入観を持って聞いただけで、実際は同じ道を歩んでいる訳ではないと期待したいところです。
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